先のブログで言及した「秩父七湯」。
「秩父七湯」の一つ、「千鹿谷の湯」。
千鹿谷鉱泉旅館として営業していました。
明治時代、政府の悪政に対して貧民救済を目的に武装事件が勃発した、史上最大の農民蜂起である「秩父事件」。
この蜂起を行うための秘密会議が行われたのが、こちら千鹿谷鉱泉旅館だそうです。
しかし、2020年に惜しまれつつ廃業、そして解体されました。
跡地はきれいに更地となっています。

旅館があった場所には、記念碑が建てられています。
1569年開湯だそうです。

更地の右奥の小高い場所にコンクリ枡がありますね。
確認しましたが、空っぽです。

コンクリ枡の裏手にも、何やら基礎みたいなのがありますが、なんでしょね。

更地の左手を望みますと、木製の屋根で覆われた構造物が。

こちらもコンクリ枡が据えられて、ドカシーで覆われています。

このコンクリ枡から配管が小川に伸びており、配管の先からチョロチョロとした流れが。

口に含みますが特徴がまったくない。
肌感も同じく特徴なし。
千鹿谷鉱泉の泉質は、ネット上ではアルカリ冷鉱泉、メタケイ酸泉、単純硫黄冷鉱泉という情報もありますが、開業時も温泉分析表の掲示がなかったようです。
